仏事のあれこれ家族葬から受け取るもの ―故人と過ごす大切な時間―
このページは、以下のようなお気持ちをお持ちの方々へ、
少しでもお役に立てればと願い、書きました。
・大切な方の死期が近いことを知った方
・突然の出来事に戸惑い途方に暮れている方
・いつか訪れるその時のために、心の準備をしておきたいと願う方
・ご自身の葬儀について、どのように送られたいか考えを深めたい方
「家族葬」という選択
- 「家族葬」とは何か?
まず、「家族葬」という言葉について、少し立ち止まって考えてみましょう。
このページをご覧になっている方の中にも、既にご存知の方も多いかと思いますが、「家族葬」という儀式の形が、浄土真宗の儀式作法として定められているわけではありません。
そこで、このページでは「家族葬」を、広く一般的に使われている意味として、以下のように定義させていただきます。
「家族葬とは、家族などの近親者だけで行い、近親者以外の儀礼的・社交辞令的な弔問客の参列を辞退する葬儀のこと。家庭葬とも呼ばれる。」
- 「家族葬」を選ぶということ
私たち僧侶は、「家族葬にするべき」とも「一般葬が良い」とも、どちらかの形式を強く勧めることはありません。
葬儀の形は、故人やご遺族の想い、それぞれの状況によって、多様であって良いと考えるからです。
しかし、ご家族だけで故人をお見送りする「家族葬」という形を選ぶことで、私たちが得られるもの、気づくことができるものがある、とも感じています。
もちろん、一般葬についてもその選択により受け取るものがあるでしょう。そちらについてはまた別稿にて記載する予定です。
「家族葬」がもたらすもの
- 自らの心に触れる時間
故人の小さな癖、忘れられない言葉、共に過ごした時間の中で共有した特別な記憶。
それら一つひとつを、静かに手繰り寄せる時間は、悲しみの中にある私たちにとって、何にも代えがたいものとなるでしょう。
- 故人と丁寧に向き合う時間
家族という、最も親しい間柄だからこそ、言葉にならない感情を分かち合うことができる時間があります。
「親にとっての子」「孫にとっての祖父母」…私たちは、故人との関係性によって、それぞれ異なる顔を知り、異なる思い出を持っています。
しかし、普段の生活の中では、そうした故人の多面性を言葉にすることは、なかなかありません。
通夜から葬儀までの時間、ご家族で語り合い、思い出を共有することで、故人の様々な側面を、深く理解し、受け止めていく機会となるでしょう。
- 「死」を通して「生」を学ぶ
葬儀の場では、子どもたちが、故人のご遺体に戸惑い、怖がってしまうこともあるかもしれません。
以前葬儀の場で、あるお父さんが、子どもに「おじいちゃんが大切なことを教えてくれているんだよ、顔を触ってあげて」と優しく語りかける姿を見たことがあります。
私たちは、死は、人生の終着点ではなく、人生の一つの時期であると捉えます。
どのように死を迎えるかを知ることは、どのように生きるかを学ぶことと同じくらい、大切なのではないでしょうか。
ご家族だけで過ごす時間は、その人生をかけて向かい合う問いに触れる場となるでしょう。
「仏」として生きること
- 仏となられた故人との新たな出会い
浄土真宗では、亡くなられた方は「仏」となり、私たちを導いてくださる存在と受け止めます。
しかし、葬儀の場、仏事の場において仏弟子としての名のりである「法名」を授かり、「仏」と呼ばれることに、違和感を感じる方もいらっしゃるかもしれません。
「家族ではなく、遠い存在になってしまうように感じる」という方もいるでしょう。
しかし、私たちにとって「仏」とは、遠く離れた世界に行ってしまった存在ではなく、いつも私たちを見守り、励まし続けてくれる存在なのです。
葬儀は、仏となられた故人との新たな出会いとなる、大切な機会なのです。
- 葬儀は「仏となられた故人からの贈り物」
「葬儀は生きている人のためのもの」という言葉はしばしば葬儀に関して用いられることがありますし、私たち僧侶もそう説明することがあります。
しかし、これは「葬儀は、生きている人の自己満足」という意味ではありません。
葬儀は、故人が私たちに与えてくれる、「贈り物」を受け取る機会であると、私たちは考えます。
- 病と向き合う姿から学ぶ「弱さと強さ」
- 何気ない日常に込められた「家族への信頼」
また、一方で、
- 「生前に約束したこと、結局できなかったなぁ」という後悔の念
- 「もっと話しておけばよかった」という切ない思い
- 亡くなった人と和解できない自分自身への困惑
といった、割り切れない思いが去来することもあるでしょう。
私たちは、感謝の思いと割り切れない思いを、同時に抱えながら生きていく存在なのです。
この二つの思いを、両手で包み込むように合わせることが、合掌なのだとも言えるのでしょう。
葬儀という「出会い直し」の儀式
- 故人との出会い直し
浄土真宗では、葬儀を単なる「別れの儀式」とは捉えません。
むしろ、仏となられた故人を受け止め、仏となられた方と、再び出会い直す第一歩となる儀式として、大切に勤めます。
「仏」という存在の定義の一つに「人を見守り、導く存在」というものがあります。
しかしながら、葬儀の場では、棺に横たわる故人を見て、「故人は仏になられた」という言葉が、すぐには心に響かないかもしれませんし、その方がむしろ自然とすら思えます。
でも、だからこそ私たちは、葬儀後、しばらくの期間を空けて、忌明けや一周忌といった法要を勤めてきたのでしょう。
浄土真宗には、「即得往生」という考えがあり、「亡くなった人は、すぐに仏となる」と説きますが、一方で残された私たちが、すぐに故人のことを仏として受け止めることができるかというと、そうではありません。
時間が経ち、悲しみが癒える頃、私たちはようやく、故人が「永遠に去ってしまった存在」ではなく、「いつも私たちの傍らに寄り添い、励まし、背中を押してくれる仏」と既になっていたことに気づくのです。
その時、葬儀は、悲しく大変な儀式から、仏となった故人と出会い直すきっかけとなった、大切で輝かしい儀式として、振り返ることができるでしょう。
- 家族葬は「丁寧な葬儀」
家族葬は「簡素化」された葬儀、と捉えられることもありますが、私たちは、故人とご遺族が、より丁寧に、密接につながることを願い、勤めるのが家族葬であると考えます。
故人との最後の時間を慈しみ、家族それぞれの思いを尊重し、仏法の教えに耳を傾ける。その一つ一つが、丁寧な家族葬を形作るでしょう。
結び:命の繋がりの中で
私たちは、自分一人でただ生きているのではなく、無数の命の中で生かされています。
仏教では、この繋がりを「縁」と呼び、その縁を与えてくれる存在を「仏」と表現します。
葬儀は、「生きている私」が「亡くなったあの人」に対してしてあげるものではなく、「亡くなったあの人」が「生きている私」を「生かされて生きる私」へと変身させてくれる儀式なのです。
ご家族と共に、丁寧に過ごす葬儀だからこそ、この事に向き合う時間を作ることができるのではないでしょうか。
この文章が、皆様にとって、少しでも心の支えとなれば幸いです。
「どうすれば良いかわからない」という段階でも、どうぞお気軽にご相談ください。
まずは、想いを、言葉にしてみてください。